自宅駐車場のシェアをして、他人に貸す商売の宣伝を見たのですが、こんなのは危ないだけです。するべきではない。だって、他人が自分ん家の駐車場へ来るのですよ?よく考えたら危ないですよねえ?勝手に敷地へ入ってくるのですよ?それでしかも、普及して警戒心がないとわかったら、それで初めから空き巣目的で参加する人が居た場合、避けられるのでしょうか?そして、被害を受けた場合、この業者は管理できるのでしょうか?被害者はおそらく宙ぶらりんになりそう。だから社会は、この業種を容認するべきではないです。
さて。ここからです!
今読んだあなた、自分は引っかからないので、とか、引っかかる人が間抜けなのです…とか、言ったでしょう?しかし!こーゆー場合は、利口かそーでないかで考えるようでは、ダメです!
社会が警鐘を鳴らすべきです。そー考えるべきです。いいですか?間違えて、この商売、OK出した人がいたとして、それがなんですか?その人が、わるいの?利口じゃないから自業自得なの?
アホなことを言ってはいけません!オープンで、人がいいじゃないですか!こーゆーことは、引っかかったからその人が悪いという類のことではないです。そーゆー自己責任論、そんなものは!
自分だってなにかの拍子に引っかかるかもしれないじゃないですか。なんと言えばいいのか…とにかく、社会が警鐘を鳴らす、そーゆーことをしたほうがいいと、促したほうがいいと考えるべき。そ~考えて、書いてます。
考え方ですね。ケースです。このケースの場合、利口か、そーでないか、重要なのはそこではない。聞いたときそっちの考えが、もたげるのではだめです。このケースの場合、誰でも引っかかる可能性がある。皆でお互いに注意し合って、支え合う、そっち系です。標語でも作って、市民に警鐘を鳴らし、注意を促したほうがいいのでは?と、考える方向であるべき。
それを、引っかかる人が間抜けなのです…という考え方をすると、注意を促す活動の方向へ向かわない、引っかかったひとがいても、その人が駄目とかではなく、社会として由々しき事態であると眉をひそめるべき。
引っかかる人が間抜け型の思考ロジックだと、社会は、詐欺まがいの業種を、ある程度認めるような、やさぐれた国になります。…ふふふ、引っかかりやがって…あの人は間抜けです、社会では生きていけない。私は彼のように間抜けではない…などと、詐欺まがいの業者に引っかからない自分を、誇る、奇妙な国になります。