非合理なことを、面白いから、全力でして、それでも生きていけるなら。
人生とは、充実していればそれでいいんです、実は。他のことではないです。
・・・・まあ危険か。この思考にないのは他人とか客観ですけど。釈迦の失敗はこの辺なのかも。まあ詳しくないですけど。あるいは応用思考をさせすぎて、論理的に遠いのかも。遠すぎると曲解する輩が発生するので。
まあしかし、充実していれば、それでいいのはあります。他人に迷惑をかけさえしなければです。他人の自由を侵害しなければです。この限りに於いては、充実していることが望ましい。非合理的なことに人生を捧げていても、人生が充実していれば、実はそれでいいのです。
しっかーーーーし!
非合理だと生きていけません。非合理には力がない場合が多いです。ですから合理的であることをしなければなりません。それだと、合理が好みの人は幸福ですね。
合理はですね、しかしこの生き物にとっては底浅なんですよ。答えが出て、味気ないんです。出てない時それと対峙しているときが充実していたり、出た答えを応用を利かせて技術利用するとか、そっちならともかく。技術利用は合理思考の人は、多分辛い。性格が好みではない方向でしょうから。技工を磨くとかそっちでしょう?考えるとかの方向ではないので。
戻します。
合理がないと、生活が充分に出来ないんです。合理が有ると生活水準が上がります。でも、生活水準が、満足に満たされ、仕事をしなくても生きていけそうなら、非合理でも、充実していれば、非合理なことをしていても構わないのはあります。
でもそれは、他人に迷惑をかけない限りに於いてはです。油絵なんか、なんの役にもたちません。音楽も写経も、なんの役にもたちません。
もう少しか。この考え方は。
変なこと、もありますね。人から見てへんなの。まあ、他の人が居なければ本性的には、それも有り、ですけど。その後の流行にもなる場合もありますし。でも、自分が嫌になるとは考えますけど。逸脱しないほうが、恥が少ないから後悔は少ないであろうかと考えます。恥をかくと嫌になるんですよ。だから避けるほうが無難です。しかしそれでも、それに対する恥がないひとであっても、人から見たら疎まれはします。疎まれることを恐れなければ、そーゆー人生を歩むであろうと考えます。そーゆー人生、とは、社会において、そのことが、社会で疎まれるなら、疎まれる人が、向かうことが出来る社会のジグソーパズルの空いているところに収まり、そっちの方向でいきる人生へ自分の人生が固定されがちにはなる、ということです。
ある判断を選択して、選択するとそーゆー人生になるとわかりきっているなら、自分の人生はそーゆー人生にはなりがちにはなる。ヤクザに入ると決めたなら、ヤクザはそーゆー世界だから、そーゆー世界の人が送る生活の、人柄として生きることに、なりがちにはなる。制約が生まれます。人生選択論とでもいいましょうか。
話がずれましたね。癒やしが書きたかったんですが。能書き言いたいから言うと、時として人を傷付けますが。
能書きの、ついでに。
ここでは、時々言っている、マイコンロボ、という考え方があります。
客観して人というものを総体としてみるという考え方の逆かな?逆とも違うか。ここは内所ですね。自分の内面です。でも奇妙ですけどそれはそれですごいんですよ?
マイコンロボに、こーゆー動きをしろ、例えば壁にぶつかったら、右に曲がる、このようにプログラムします。そーするとこのロボットは、危なげなく迷路を脱出します。このプログラムは、生き方、信念、です。様々なケースに対して、どのように対応するするかという、この人のクセです。習慣。他の全く違うケースでもこの人のクセは、度々顔を出します。それはこの人の生きざまになります。良い考え方をもちましょう。時々いる、確固とした自分を持っている人はそーゆー人です。いいマイコンプログラムを入力しましょう。複雑なケースごとに態度を変えるということは、人間は限界があります。多分無理です。自分は物事に対してこーゆー風な人間であるというやり方をするほうが、様々なケースでそーゆー風に振る舞います。こっちでしない、あなた、人間関係疲れるでしょう?相手事に言ってることが違うでしょう?ある、新規のことをしなければならない場面は、緊張しますよね?
やだなー。こんな書類、わかんないんですけど。
新しい仕事を教えますね?まず・・・じゃあきみ、して?やだなー。
で、この場面で、突撃するという考え方と、躊躇すという考え方とあります。突撃する人は、そーゆー人生を送ります。躊躇する人は、そーゆー人生を送ります。どちらがいいかと聞かれれば、突撃のほうがいいでしょう。自分のプログラムは、こーゆー時、やだなーと考えるを、やめて、突撃するというプログラムのほうがいいでしょう。まあ、限界は有るでしょうけど。
ケースアプローチという考え方もあります。この人はこーゆー人だから、こーゆー風に言えばこのようにしてくれます。それぞれの人に対して、性格というか、言動の規則性というか、とりあえず、こーいうとしてくれる的なことです。まあ、子供の頃はふつーにやってた考えます。
馴染みがあることですと、法律という考え方があります、法律はケースアプローチとは違い、その多くのケースの包含の平均値をとったような形と、含ませるには少々無理があることの妥当な取捨選択が、法律とか社内規則とかマニュアルと呼ばれるものです。出すぎている人は引っ込めます。至らない人は訓練します。そして、ケースアプローチの大将たる個性一人ひとりに対して枠内に収めるように、指導していきます。そーすれば大多数の人ができるものになります。なるべく大勢を包含するように作ります。ここで許容される逸脱者は、初心者故に、仕事の能力が、劣る人です。暴れるとかではなく、足りていない人。暴れるのは仕事の能力が至らないのとは意味が違う。このビギナーは逸脱者として、許容し、訓練をして育てる間はあまり叱らず、多めには見ます。人の世界での、国家の法律もそのようにしています。子供に対しては、大抵の場合、出来なくて叱るのではなく、逸脱したら叱ります。それも、適切な度合いで、です。教育とは、根気が必要です。
ケースアプローチ型の人は、この、方の上でそれをしているのであって、あなたが、人とはケースアプローチが本質と言ってしまうと社則が散り散りになるでしょう?まとまらないのですけど。
でもですね?
そーはいっても無理・・・・というのもあります。好き嫌い、好みのことと、もう一つはその人の置かれた状況、この2つですね。他にあるかなあ・・・。
好みのことを、持ち込んでも困るので、極力、取捨選択された法律、ルール上に合わせてもらうのですけどね?それでもどーしても無理、って場合があるんです、食べろと言われても漬物は無理って子はいるんですよ。確かに存在するのに、ここに目を背けるのは、おかしいです。子供の頃から確かにあるのです。まあ、この場合はなるべく合わせろといいます。それで、叱ります。ここが先の法律とか、社内規則とか、ルール系です。でもどーしても無理という場合は、大抵の場合は辞めてもらいます。まあ、少しだけ許容はする場合はあるんですけどね?ケースアプローチとしてです。それで、ケースアプローチと、法との境目で、許容は無理、という判断の場合は、申し訳ないけど辞めてもらいます。国家の法律の場合はなるべくケースに合わせた特殊法律を組みます。駄目な場合で、違法者判断という判定をする場合もあります。違法者の場合は、ケースに合わせた指定の一定期間、権利の制限を課したりする場合があります。投獄とか、免許の剥奪とかです。罰金の場合は、ケースに合わせた一定の指定の期間ではなく一定量となります。
まあ、能書きが長くなりました。この話をする予定ではなかったのですけど。
ホントは、合理を求めて社会が成熟し、合理的なことをするという無理なことをしなくても生きていけるほど、文明が進み、非合理なことですが面白いことをしても、生活破綻が起きず、生きていけるなら、そーやって生きても構わないのはあります。
人に迷惑をかけないでね?
それを他の言い方では、他人の自由を侵害しないという言い方をします。ここはお互いにです。自分の自由のことばっかり言うな。お前の言う自由は他人の自由を侵害していると言っています。人に迷惑を掛けるな、その限りに於いては自由でもいい。このように言っています。
それと、恥をかく、黒歴史を人生で作ってしまうと、人生が面白くなくなってしまいます。
それと、人の恥や、黒歴史を笑うのを辞めなさい。そーゆー経験がない人はわからない場合がある。それなら、笑うのを辞めておいたほうが無難です。人は、人生が長い。サイコロに似ていて、1の目が出ないようにとしていても、いつか出ます。で、出たときの対策として、笑わない。このようにしないと、失敗したときの反動が大きいです。賢く振る舞うなら、1の目は出ませんから、という尊大な振る舞いではなく、出たときの前もっての保険思考、どーせいつかは、失敗は人間はしますので、その時のための保険をかけておく考え方のほうが賢いです。頭がいいです。
仕事とは、道路があり、この道の上にいる人が好まれ、道の外に出たがる人が嫌われます。上手いにせよ下手にせよ、サボるにせよ、腕自慢にせよ、脱法にせよ、ルールを盾にいばるにせよです。逸脱しない人間ばっかりだったら、その集団で出来る、更に高い文明になります。逸脱しない人間ばっかりだったら、実は、仕事なんか、もっと高給で、しかも仕事は辛くない、そーゆー仕事に変えてあげたって構わないんです。点検業務だけとか。それでもサボらない、痴話沙汰はしない、キャッチボールはしない。ただ立って管理だけしていなさい。それを言われてそれだけする人なら、出来る人なら高給でも構わないのです。仕事中に、寝ては駄目ですよ。可能性を求めてもしょうがなくて、可能性を求めても、しないならいいですよ?やらせたりとか。悪知恵働かせて文章の揚げ足取りを考えて、出来る方法はないかと、探してするようなことをしなければいいですよ。
以前書きましたが、鳥かごに入れられた、小さいうずらか何かの、小さい地面を歩く小鳥の集団に、水入れの容器を入れてあげるのですね?それは新品で、ガラス玉が、容器の装飾でたくさん埋めてあって。キラキラしているのです。最初、小鳥は水を飲みません。おっかないからです。少し時間が経つと、勇気のある小鳥が水を飲みだします。それで、水だとわかり、飲みだすのですね?そしたら他の小鳥もマネをしだして、みんな水を飲むのです。ここで止まり、この方向まで、という事でしてくれれば、この小鳥たちは、さらなる文明へランクアップします。
しかし現実はそーではない。この小鳥たちは次に、容器を侮って、中へ入り、踏みしだきだします。出来るからです。出来るからって・・・・しなければ衛生的じゃないですか。水は汚れないし容器も長持ちします。掃除も、さっと洗うだけでいい。そしたら飼育しやすいから、さらなる文明へランクアップします。最大で、小屋に入れずに放し飼いです。トイレは所定のところで自分でするからです。でも、出来ない。知能が申し訳ないけど低いからです。犬や猫だともう少し知能が高いから複雑なことを、するなと言ったらしなくなるといいましょうか。
人間はもっと複雑な事ができますが、逸脱するなと言われて、しなくなるなら、さらなる段階へ文明がランクアップします。・・・・でも、したいのね?我慢できないのね?この小鳥も、容器を踏みしだきたいのです。バシャバシャしたいんですよ。止められないんです。話をしてもわかってくれないのです。ここは知能のことではあります。もっと人間より高い知能の生き物が居たら、お前それしたらこーなるのに・・・・と、水入れに糞が入るだろ・・・と、人間がわかるように、知能が高い存在の彼らがわかることでしょう。そしてしません。
こーゆー場合は、制限をかけます。小屋で飼う。こーしないと飼えないのです。制限下のほうが、この小鳥たちは幸福なのです。餌をもらえますし。自然界より長生きします。ご飯いっぱいです。羨ましい豪邸生活です。寒くもないです。
仕事が上手い方で嫌われる・・・・ここは分かりづらいかもしれないタイプの人も居ますね。ルールを盾に、いやー・・ぼく、出来ますから。・・・・・いやいやっていう感じですね。いいからみなさんと同じようにして?休憩時間15分って、まあ無理なので、移動時間込みで25分から30分。みんなそ-してるでしょう?ルールや立場を利用して自分がえらく見えるからって、15分で帰ってこないと・・・って、それを言うのか?こーゆー人間は嫌われます。厳しいを、わざと言って、偉い人に見せかける。自分はできるからです。こーゆーのは、様々なケースを包含してあったり、余裕をもたせているわけで。ルールを崩すなと言いたい。文章を都合解釈して、自分ができるからってタイトな方向・・・窮屈な方向という意味ですね、こっちで脱法する人とかいるんですよ。自分を偉く、大きく見せるのが目的なんです。相手を論破できるからです。閉口するでしょう?が、こーゆー人は、扱いが面倒だから嫌われます。ここ。そのように、ほおって置くと、最終的には、少林寺みたいな不思議修行になります。走り回って、常人では出来ないレベルの仕事になって、はたから見ると奇人変人コーナーに見える。本人たちだけ恥ずかしくない。こーなります。本人たちは熱意を持って、きちっとした仕事をしているとさえ考えているからです。でもはたから見ると奇人変人コーナーです。仕事なのにみんな跳ね回っているんです。とんぼ返りを、切ってる。筋力自慢とかですね。ぼくは持ち上げられますから・・・・いやいやっていう感じですね。出来ないほうがいっそ社則が曲がらないので、色んな人が誰でも出来る仕事なので社則、マニュアルとしていいような気さえしますね。それを出来るようになる労力、この労力自体が無駄なことに労力を費やしているようにさえ見えますけど。ぼく、休憩取らなくてもこんなに残業できるんです、すごいでしょう?いやー・・・いいから帰ってください。そーゆー感じですね。タイムカード切ったんでしょう?いつまでいるの?コンピューターウィルスでも仕込む隙きでも伺ってんの?商品こっそり持ち帰ろうとでもしてるの?早く帰りなさい。怪しいですよ?とでも言いたくなりますね。こーゆー人もいるのです。
自分はちなみに、仕事は腕自慢の方でしています。なぜなら、偉くなったら文句が言えるからです。ここまで出来るこの自分が言うんですよ?そんなにやらせるのは無理では?と、苦言を呈することが出来る立場になりたいからです。だから腕はものすごく磨くほうです。実は、ですから、ここまで出来て何になるの?といつも考えています。少ない仕事量なら・・・だって・・・家へ帰って、マンガを読んだり出来ますもんねえ?映画を1日1DVDとか、そーゆー趣味ができますもん。
人の幸福とは合理とは限りません。正確には合理をするという行為の中に幸福を感じるとは限りません。行為そのものには、幸福感が有るとは限らない。非合理な、・・・映画鑑賞とかですね?それに、幸福を感じるケースは大いにあります。合理に幸福を感じるケースももちろんあります。生活が豊かになっていく実感がもう嬉しくて嬉しくて・・・とかですね。
まあここでは、非合理な、趣味とかですね、それで一生費やしても生きていけるなら、生活が破綻しないなら、それでも構わないのはあります。いっつも登山をして、そろそろ紅葉の季節で紅葉が綺麗ですねえ・・・とか、樹木の知識に詳しくなったりとかですね。蝋梅が咲き始めましたねえ・・・・蝋梅。ご存知でしょうか?・・・・ゴホン!えーでは僭越ながら拙い講釈を一つ・・・・。蝋梅とは樹木の花の一種でありまして・・・・。こんなの、芋1つ作れないんですけど。なぜなら、芋を植えてないから。合理を求めるなら、こんな知識を語る手間暇で、芋を植えたほうがいいんですけど。花の知識なんか、芋栽培の知識ではないんですけどね?
人間は本性的には非合理でもなんでも、それをして生きていていいように出来ています。
人間は本性的には非合理でもなんでも、それをして生きていていいように出来ていません。
文明が進行すると、高度文明ではおそらく自由を獲得しますが、それがこの生物にとっていいかはわかりません。どーせ堕落するので。自由を得ると、他人を侵害します。今までもそ~ですし。よって暴れます。痴話沙汰ばっかりです。暴力組織を組閣しそう。脱法詐欺をしそう。戦争しそう。ですからどーせこの規模です。人類は核の時代を得ました。そろそろ、自分たち自身を自分たちで滅ぼす力を得るでしょう。どーせ、コケます。ほんの少しのミスで、壮大にずっこけます。巻き添え。どーせコケます。どーせ選民をします。我々以外は、全て灰燼と帰す。で、小規模に逆戻り。
この生き物は、するな、と言っても、気持ちの統制が取れず、この辺がこの生き物の知能の限界点です。この限界点は、小鳥のほうが低いです。
金持ちは、心を語ります。人の本性とは、非合理であると言い出します。でもまちがい。金も電力もなんにも無い場合、合理的でない人間から死にます。この食べられる植物を、植えて増やせばとりあえず今の難は逃れられそう、こーゆー合理思考じゃないと。発見は非合理でも成せますが、非合理思考だとてんでバラバラで他の可能性を考える人でベクトルは放射状になります。合理思考だと、ベクトルは指向性を持ちます。指向性とはある方向へ特化するということです。金持ちは余裕があるから、合理的な思考が必要ない。だから心の非合理性が人間の本性であるということを語ります。で、無いです。それはきみが裕福だからですと言います。
金持ちに限らず、人は力を得ると、何か言い出します。権力、腕力、何か言い出します。余裕が出てくるからです。仕事をしていると、疲労がすごいまま仕事をすると、動きが洗練されます。きついから無駄な動きをしたくないからです。だから動きが洗練され、常人では出来ないようなことを無意識にしだしたりします。無駄な動きが辛いからです。ですから無駄が省かれ、最適な動きをします。それで、こここそ、奥義です。奥義の塊みたいな動きへ最適化されます。人の世の奥義。ここは、合理性の塊です。なぜなら無駄な動きなんか役に立たないからです。非合理なんか、この場合は自分を救う何の役にも立たないからです。・・・・おおーっと、言い過ぎました。自分の好みの音楽を口ずさんでいると、力が湧きますね。ここは非合理です。でも、非合理が自分を救います。合理なんかじゃ、自分を支えられなかった、後で振り返ります。陰が濃くなってきました。大人の渋い顔です。
奥義に到達すればいいですよね?しかし、人はそうとは限らない。届かない場合もあるのです。それは人によると見せかけて、運です。今自分がうまい答えを出したからって、次は彼が答えを出し自分は出ない場合もあります。運のようなものです。簡単に能力をそんなことで計ってもしょーがないです。
仕事の初心者で、5人ぐらい居て、順番に初めての仕事をします。1個めの仕事は、彼が出来た。ぼく失敗。2個めの仕事も彼は出来た、彼女も出来た。ぼく失敗。彼は、ぼくのことを出来ない人と言い始めた。初めての仕事ですよ?違いますよねえ?運ですよねこんなの。ぼくだって出来たほうがいいと考えているけど、でも失敗したんですよ。でも彼は、やる気有るの?と言うんです。やる気のことじゃないですよねえ?
さて、人類はでも大勢で考えても答えが出ない時があるんですよ。あるいは個人でも答えが出ない時があるんです。バカの何の、わからない人に言っても、しょーがないんです。人間というものは、それでも生きていくんです。いま、科学が満たされているから分かりづらいでしょうけど、わからない病とかたくさんあったであろうと考えます。和尚さん、どーしたらいいですか?治りますか?
神仏に祈りなさい。それは心の支えです。科学が足りない時代、それで救おうとしたんだろうと考えます。祈りですね。
人は答えがなくてもそれでも生きていくんです。力が他の人より劣っていても生きていくんです。だからなんですか?と突っぱねて生きていくんですよ。競争社会に毒されでもしたのか、自分より劣るものを劣ると平気で言ったり、邪険に扱ってはいけません。その人から見た人生を想像してご覧なさい。その人なりに生きていくんでしょう?人生を謳歌する権利があるでしょう?見下したりしてはいけません。こんなところに、競争社会と、順番付け、有優劣の差なんかに、人間の本質はありません。無いとはっきり言います。あなたが、優劣を言いたいのは自分が安心したいからです。そーはいきませんよ?この時代ぐらいですこんな事を言っているのは。まあ格式とかもありますけどね。社会階級。自由を得たいからって他者を抑圧しては駄目ですよ?彼らも生きていくんです。生きていくんですよ。物がなくても、生きていくんです。この貧しい環境で、いい方へ向かう答えがうまく導き出せなくても、答えがなくても生きていくんです。人とはそーゆーものです。答えがわかっていることがすごいからって、わからないということが劣っているとかではないです。宗教はそれの大部分を人の心を救うことをしてきた側面はあります。心を支えてもらうと明日へ向かって活きる力になります。
生まれた社会階級なんかたまたまです。偶然。ただ、生まれたんです。その直後、社会階級が、すぐにパッと点いたんです。きっとそれだけ。本性的には結局、自分がしっかりしているかです。物語の主人公は、たまたまその人生を歩むのです。主人公から見て、ケンカの強い人も居たり、頭がいい人もいたり、勉強が足りない人も居たり、ゲームが上手い人も居たり、そんなに上手いわけでもない人も居たり、ギャグを言う人も居たり、ムードメーカーの人も居たり、仲がいい他の要素は世間並みか少し自分よりデキる人も居たり、そーゆー中に自分がいるのです。人間はこーゆーものです。ある側面、人とはそーゆーものです。
たまたまです。こーゆー社会なのは。
他の世界に生まれる可能性だってありました。もっと、スライムみたいな生き物として生まれたりとか。地面はゴムで出来ていたりとか。ありうることです。7次元人として生まれたりとか。たまたまこの世界に生まれました。しかもこの時代に。大航海時代に生まれる可能性だってありました。インカ帝国に生まれる可能性だってありました。たまたまこの世界に生まれたのです。人と、人の世とは、そーゆーものです。心を自由にすれば、この可能性は有ったという結論に達します。まあ、物語的な発想ではないです。自分の心と、それが見る映写機の感じです。
人の本性は合理的に動くわけではないです。人の本性は、幼少期の教育で動きます。自分は、学校教育の一環として、ことわざや格言にもっと力を入れたほうがいいという方針を支持します。性格に影響が出て、いい方向の人間に育つ可能性があるからです。それも短くて覚えやすいものがいいです。統一論的な思考より、ケーススタディ的で、利用しやすい人生のノウハウだからです。よくよく選出の上、いいことわざ、格言を教えて覚えてもらうことに力を注ぐことは国家の国益となるでしょう。
シミュレーションで、1000個の点を用意し、この点一個一個が、いいことばっかりして逸脱しないなら、いい方へ動くことでしょう。逸脱する性格設定を付加すると、少量逸脱が発生して、先の集団より、小さい集団になるでしょう。
1000個全て農業をしてサボらず逸脱しない。2つのケースで動かすと、前のケースのほうが発展します。
サイコロを振ります。確率論では試行回数というのがあります。サイコロを6回降って1の目が出ない確率は?この、6回、それが試行回数です。人間は人生を長く生きれば生きるほど、年齢という名の試行回数が増えていきます。サイコロを振る機会が増えていきます。ですから長く生きれば生きるほど、1の目が出ないと言っても出る確率が増えていきます。ですから、人間は遅かれ早かれ、失敗はするものです。1の目が出ないと誇っても、さすがに78回も振れば何回か出ます。で、いつ出るかはともかく、出るなら出た際の準備が必要です。ですから他人の失敗を笑ったり怒り過ぎたりしないように。じぶんのときに、あなたが、したんですからこのくらいでも、あなたは、いいのでしょう?とやり返される可能性を少しでも減らしておくのです。いますけどね?でも減らせる。
人類は、一定量、失敗します。多分。50面体サイコロぐらいではないかと。それは、知能と、性格傾向と、運に左右されます。知能で克服したり、サイコロとはいえ、成分に偏りがあり、生来的な偏りによる、それと運です。我々は、その失敗の確率を、知能と、訓練とで克服してきました。知能とは、失敗しない工夫です。どーやってもここにしか入らないなら、失敗はそもそも起きない、とかですね。訓練していつもこの動きを必ずすれば、それをしないことで起きる失敗の可能性を排除できる、とかですね。法もそーかな?ある側面そーかも。
人間は、予知能力が有ればいいのに・・・・と考えませんか?実はもう有るんです。失敗の可能性を排除する、工夫をすると、こーなるしか無いという状態になります。そしたらこの先こーなると予見できてしまうのです。あるいは天体の法則性とかですね。実は未来に何が起きるのかをある程度予知できるのです。未来予知ですね。確率の排除は未来予知を可能にします。他にもありますよ?工場の生産量を一定にします。利益はいつも同じなら、10年後に出来る計画を今、建てられます。未来予知ですね。予知能力は有るんですよ?鉄壁の状態はそれが崩れないとわかっているなら、そ~だから出来る予知が可能です。・・・・しまった逸脱しすぎました。まあいいのかも。合理が十分満たされると、非合理あことに人生を捧げても構わない、というお話でしたね。
さて。
ですから失敗に対して寛容さを持とうと自分に一応心の片隅にとどめておきましょう。とどめておかないと気付きもしません。寛容さを出したほうがいいかもと、いつも片隅にとどめておきましょう。合理だけではないです。辛いとか、人に話せない事情持ちの人とか、自分がわかってない世間体の何かしらとか、色々です。
人間は、休憩が必要にできています。追い込んでも保ちませんし。登山パーティーのリーダーは最も遅い人に合わせるのです。リーダーのほうが速いに決まっていて能力が高いです。でも遅い人に合わせます。自分の能力のことを誇る場面ではないです。競っているのではないです。もっとも遅い人に、ペースや、休憩のタイミングを合わせるでしょう。叱ってもしょーがない。そーゆーことではないです。
愚痴を言うと、考えるようになる場合があります。今まで考えても居なかったのにね?グチを言うから意識してしまって、考えるんです。考えると、気に病むようになる場合があります。気に病むと強くなくなる場合があります。強くなくなると、嫌になる場合があります。嫌になるとそのことに対して、疲れるようになる場合があります。疲れるとしたくなくなるようになる場合があります。したくなくなると辞めたくなる場合があります。すぐやめたくなると、何でも長続きしなくなる人になる場合があります。ですから愚痴を言いたくなっても自分で言わないように自分で制御したほうがいいのです。言わない。考えない。クセをつけるのです。愚痴もそうですが、表情や態度もそーです。表に出さない。忘れてしまえー。まあ無理な場合もあります。ここはできるだけそーします。可能な限りです。それでも無理という耐えられない場合があります。このときはもうしょーがない。まあ、辞めちゃいましょう。やめられない場合があるけどね。ですから考えないほうがいいんです。
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