成人男性主体。もう少し配慮がほしいところです。いつも言ってることの一つは、ここに根ざしています。
人類全体の40%程度の。
できますか?他の人が?できないと誇りが満たされますか?そんなことでは良くないですよ?
子供もいれば、女性もいれば、中高年もいれば、初心者もいれば、お年寄りもいれば、健常者ではない人もいて、海外の人もいて。
社会の構造が、この世代に偏る傾向にあります。ともすれば、成人男性だけでなく、成人女性ということにもなりかねない。
40才、50才ともなりますと、それができなくなっていきます。親御さんが年を取り、亡くなられたり、体が不自由になったりするからです。残業体制を盤石で揺るぎなくしてしまうと、ブーメランのように、そんなことを言った手前、自分のときは帰りたいと、言えなくなってしまいます。
このとき、人は、2種類に分かれます。間違っていたと認めて、帰っていい方向へ行く人と、切る人です。帰っていい方向へしたほうがいいですよ。人の世の中は、そーゆー、やる気とか、情熱ばかりではないですよ。自分ができるからいいのではないですよ。
なにかこのー…成人男性主体の社会構造になりがちなことがあって、この問題点の根源は、成人男性の、他の人たちに対しての、配慮のなさが原因です。
配慮がないのは、仕事の場合、自分が情熱的になっているからというのがあります。精力的に仕事をしている自分が、すごいような、美化した気持ちになるからです。できない人がいると、優位になったような気持ちにもなりますね。
人類全体の、30〜40%。できる自分を基準にシステムを構築しても、社会全体としては、うーん…皆さん困りますという言い方になりますね。
0 件のコメント:
コメントを投稿