考え中です。
工場の業務を、内勤と外勤にくっきり分けるというのはいかがでしょうか?
なにか、冷たい意見を言うようですが。
内勤が、業務方針や生産量調整をします。
その枠内のことを、現場がします。
なにかこのー、冷たいパッキリとした意見ですが…
現場の叩き上げが、そのまま偉くなると、たぶん、社則そのものに手を加える可能性があります。自分はできますので。自分は強いですから。労働時間は、もう少し長くしましょう。手を加えなくても、このように言い出す可能性があります。そのとき、彼は強いから何を言っても聞かなくなる可能性があります。
まず短期的に見て困りますし、長期的に見ても彼自身が困ることになります。親が年を取ったので、早く帰りたいのですが、社則を自分の都合で変えた以上、自分で戻すと言ってもばつが悪い。カッコがつかない。もっと生産量を増やしましょう。僕はできます。他の人ができないのは頑張りが足りないからです。
生産量もオーバーなら、
一人あたりの労働量も、オーバー、
労働時間もオーバー。
自分への記録を目指してるかのようです。
経営者の立場ですと、この考え方ではない。平均的な労働者が、何人いればいいか、とか、何人いれば社則を破綻させずに経営できるか、とか、そーゆーことが重要であろうと考えます。
個人の能力は微笑ましいですが、過度に優れていたところで、労働者を、単位として見る視点が重要な立場としては、そんなには。
このような自体を避けましょうと考えます。そーしますと、指揮系統の内勤と、現場従業員とで、分ける…という方法が考えつきます。割と一般的なこの形は、内勤が偉いからではなく、内勤を偉いということにしておいたほうが、会社総体として存続しやすい、安定しているからではないかと考えます。
内勤は、冷徹に社則や、平均的な生産量データを守り、従業員に守らせます。守らない場合は叱ります。著しい場合は退職してもらいます。
このようにしますと、内勤が決めたことを、現場がするという形になり、なんと申しましょうか…飛び出さない。力量が高くても飛び出さない。個人がしたらいい生産量、労働量は、計算で、係数化されております。係数。決まった数値。大体、大なり小なりこの程度。それをもとに計算された生産量は、冷徹であり、現場労働者は、データに基づいて計算されたそれを粛々とします。
多分腕っこきは、自分はうまいと言いたいでしょう。それは、与えられた枠内で誇らせることにします。枠内なんですけど、でも、すごいですねえ・・!と言ってあげます。ありがとう!あなたがいるから、会社がうまく言ってます!などと、です。それでいいのです。会社としては嬉しい人材、というレベルで止まります。実際にはもっと、機械は速い速度で動かせるとしても、適正値に留め、その枠内でうまくても抑え込みます。結局、個人の腕前より、雇う側としては、平均的な労働者が、この形で何人いればいいか?それが重要です。でも、腕前をあげようとする人のモチベーションも重要ではあります。ですので、適度。なんでも適度です。
このやり方で長くすると、むしろ、跳ね返るタイプの人は、生産量がオーバーしたとき、内勤に、文句を言いに来るかもしれませんけどね。