思い出がたくさんあって、不自由なく、いつも笑顔なら、大きな家の使用人として、一生を終えるとしても、幸福ではないでしょうか?奥様の、旦那様の気まぐれに振り回されて、それでも、笑顔になるようなことばかりだったら、幸福なのではないでしょうか?
…まあ、人は満ち足りていると野心が芽生える事があるもので、そ~ゆー風に使用人に生まれても、そのように使用人として、生きるかはわからないですが。
それでも、幸福の位置は、高所を目指すところにあるわけでは必ずしもないような。
人は、満ち足りてると、現状を倦んで、野心が芽生えたりするものですが、ワンランク下を経験すると、それ以前の現状は、あれは幸福だったのだと考えるものです。
キングになったから幸福なのか?必ずしもそうではないと考えます。名誉は、幸福に対し、ある程度の貢献をしますが、それそのものではないですよね?
生まれたとき、セカイはラバーランドでした。自分は、ラバーランドの鍛冶屋の家に生まれました。人の人生とはある側面で、こーゆーことです。ロールプレイングゲームです。ロールプレイングゲームを始めたとき、このゲームの主人公は、ラバーランドの鍛冶屋の次男でした。舞台設定。その視点から見る世界。
友達には自分より喧嘩の強い人がいて、友達には自分より頭のいい人がいて、友達には自分より臆病な人がいて、その、人の様々な軸の、只中に自分がいて、その中で自分の人生という物語が進んでいきます。
頂点を目指すことは幸福そのものなのか?
まあ、こっそりと。
この考え方は、客観視点に欠けるのではないかと、実は自分自身は考えています。まあ自分はこっち側、よーするに客観視点側の考え方の人で、ロールプレイングゲームのような、与えられた世界設定という考え方は、最近少し考えるようになったことです。
自分というものがこの世界に生を受けたとき、その世界はそーゆー生き物が、そーゆー社会体制で、多く集まる体制を国と言ってて、自分はそこに、生まれるということをしてこの世界へ来て、来たところは、家族と言われる、小体制を形成していて、それの2番めに生まれるということをして、この世界へ来た。ゴム人間の世界で、星は四角くて当たり前、そーゆー場合もある。こーゆーアプローチです。自分から見た世界に対するアプローチをこのように考える考え方です。・・・この考え方ねー、自分としては、客観性に欠けるとは考えていまして。主観的なんですよ。この主観的ですと、過ぎるとワガママになるんで、あんまりね・・他人を大切にしなさい、と言いたくなります。一緒に居て、イヤですキミは。迷惑ですと言ったんです。迷惑?自分以外、世界は、他人も全て虚構で、そんな事は何でもいいんです。・・面と向かってキミはそーゆーことを言うのか、こちらが困っているということもキミにとっては虚構か?・・と、このようになります。事実困っているのに、彼の立場では相手を彼が困らせているという事実そのものが、虚構というわけです。こちらとしては受け入れがたいですよね?ですのでこの考え方は、ある側面、この考え方である程度あっている、という程度に考えておかないと、間違いを起こしますよ?きっと。
まあでもこの考え方をしておかないと、事実、自分のおかれている境遇が辛い場合、まあしょうがない、こーゆーもんだと割り切ったりとかですね?そーしないとつらいですし。
客観は客観でまた問題があるんですよ。差別?能力差別?だって出来てないじゃないですか、彼。・・いやそんなに求めても。・・いや、出来てないのは劣ってるからで、事実じゃないですか。とかですね。
・・・まあ良い答えは出てないんですよ、自分自身は。どのへんでしょうね?
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