意義が、いい意義を持っていることなら、評論家は、あってもいいのではないかという議論です。
そのーですね…例えば、何かしらの…ここでは楽器としましょう。楽器の演奏としましょう。
「この曲は、こーゆーフレーズがありますね?このフレーズは、こーゆー演奏テクニックが使われているのですね。演奏テクニックを、ここでお見せしますね?…たららららーん。このようにします。このテクニックは、有名ですが大変難しく、今日紹介しているこのアーティストの方は、この演奏テクニックをよく多用します。とても上手いですよ。」
紹介されていないと、演奏に無縁の人は、何も考えないです。しかし、このように紹介しますと、この人はそ~ゆー人なんだ…と、リスナーが印象深く覚えてくれます。そして、リスナーが、そーゆー、テクニックというものがある、という物の見方をします。
たとえば、メタルの演奏。こーゆースーパーテクニックを駆使しており、譜面に起こしたり、弾き方指南!と特集を組んだり、スーパーギタリストの名前はイングウェイ・マルムスティーンという方です・・・と、このようにしますと、作品に対して、そーゆーアプローチで聞く層が一定層、発生するであろうと考えられます。それはそれで華やかです。また、このスーパーギタリストは敬意を払われます。楽器の演奏で敬意を払われるのです。音楽なんて、全体的な曲の感じとボーカルの人しか見ないでしょう?演奏者が敬意を払われるんですよ?楽器が上手いということで、演奏者が敬意を払われる、素晴らしいことです。楽器の演奏者、という立ち位置です。
絵画とかは?
彫刻とかは?
こーゆーことを言うのはですね?素人の、音楽の大学を出ているわけでもない人がですね?音楽理論を語っていてもいいんですと言いたいんです。素人リスナーですね。その人がいるからこそ、評価されるからです。素人なんだから、偉そうなことを言うな、というのはありますが、でもですねえ、理解がある人がいるからこそ、正当な評価がされるのです。裾野が広いから、業界が支えられるのです。だから、いいんですと言いたいのです。
そーしますと、その足がかりは?ということになりますと、こーゆー仕事とは、評論家がする・・・ということになります。理解がある人が増えると、評論が疎まれる可能性はあります。なんでかといいますと、彼らは自分で、自分の能力を上げ、プロ顔負けにもなるぐらいの評論を、できる人間になるかもしれないからです。しかしそれは、評論家の皆さんの活動のおかげで理解ある人の裾野が広くなった、世の中そーゆー風に、持ちつ持たれつで業界を盛り上げ広げていくのが文化的なんだと自覚して、自身の尊大な発言や他者を軽んずる発言は自重すべき。また、評論が無ければ、そもそも人材が育たず、リスナーの裾野が小さくなることにもなりかねないです。
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