歳をとりました。
なにか、新たな、おしゃれな、出来のいい建築物を見ても、気持ちが高揚しないのです。何も考えてない。
さて。
では?
鉄壁の方法論。感性に頼らず、いいものを作れる方法論を確立し、その方法論で作ります。そーしますと、自分が、長く生きて、飽きても、美しくはあります。美しい都市にはなります。その、鉄壁の方法論の構築ができれば、飽きても、その方法論に沿って、建築物は作成され、たとえ自分が美しいと高揚しなくても、とりあえず下へ落ちることはないです。でも若い人には刺激的でしょう。
この国は、西洋芸術が入ってきたのが、モダンアートや、抽象画の頃であり、この国は、鉄壁の方法論の上に、鉄壁の方法論を積み上げるという考え方がないのではと危惧があります。芸術という言葉にあるのは、新規性、個性、そーゆーことです。奇抜さ。自分なりの方法論の提示。
それだと、ノウハウの蓄積を集合させて、豪勢な宮殿を建てるというような、西洋的なことが、難しいです。感性に頼ると大まかなイメージがあっても、細かいところまで、自分の感性で補填するのは難しいからです。
でも、こーゆーときは、こーゆー風にするものです…という、当然のようなこと、伝統、慣習。いつもと同じように作るから、美しさは廃れない。下へ向かわない。こーゆーノウハウを、たくさん持つ。こーゆー時は、額縁はこーゆーものを選びます。柱の彫り物は、こーゆー位置にこのような彫り物をします。昔からそーなんです。こーゆー決め事。そーゆーセオリーをたくさん持つ。伝統と、継承ですね。技術、ノウハウの継承。それと蓄積。
モダンアートや、抽象画とか現代的なものは、伝統的に美しいものを解析して、それなら、このセオリー群は、何なのか?よーするにこーゆーことですということで、モダンアートや、抽象画ということになるのではないかと考えます。
壁のデザインは、途中から2つに分け、横木を入れます。この場合高さはこの程度という決まりです。このノウハウがあるからこそ、なんでそーなるのか…ということになり、モダンアートで、よーするにこーゆーことですということになるんだろうと考えます。
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